前社長 松井道夫回顧録
第三章 おやんなさいよ
でも つまんないよ(1/9)

株屋を継いだワケ

結婚は33歳の時でした。土日も仕事三昧の生活で独身寮には寝に帰るだけという生活も飽きてきて、「そろそろ身を固めないと、夢だった海外赴任の話も来ないなあ」と思っていた頃に、弟の妻である義妹を通じ紹介されたのが、松井証券二代目社長の一人娘である松井千鶴子でした。上智大学で考古学博士課程に進み、卒業後は助手みたいな形で中国河南・ベトナム地域の青銅器を研究していて、発掘の穴掘りが仕事と話す目の前の女性に、「この人は自分の世界を持っている。結婚してもベタベタまとわりつかれないのがいいなあ」と思い、求婚すると幸い応じてもらえました。

松井証券を継ぐつもりなど全くありませんでした。「結婚すると海外赴任の出番が回ってくる。ロンドンやニューヨークなんかじゃなくて、中近東やアフリカ・中南米などの僻地に行かされる可能性も大いにある。俺はかまわないが、君は大丈夫か?」。こんな質問に「嫌です」などと答えるはずもなく、彼女はニコニコと頷いてくれたものの、「親想いだから、単身赴任だろうなあ。ま・・・いっか」。結婚当初は、妻が務台千鶴子に改姓し、社宅は本郷にある妻の実家近くの巣鴨寮を希望して入ることができました。私が幼少期を過ごした北区西ヶ原が隣街で、「霜降(しもふり)銀座」という商店街が同じというのも奇遇でした。小学校同級生の何人かが家業の商店を継いでいました。

妻から「松井証券を継いでほしい」と言われたことは一度もありません。岳父も家では仕事の話は一切しない人でした。そもそも証券業なんて全く興味がありませんでしたし、課長代理になったばかりで会社経営も何のことやらさっぱりで分かりません。だから、日本郵船に定年まで勤めるつもりでした。でも、結婚して1年も一緒に暮らしていると、自然と松井証券の話は耳に入ってきます。「俺が継がなければ松井証券は創業家から離れる・・・俺にはどうでもいいけど、そんなの関係ないって言うのも何だかなあ・・・」。一人娘で松井家の跡取りという責任感の強い妻が、私が継ぐのを望んでいたのは間違いありません。

「なんで株屋なんかを継がなきゃならないんだ。そんなの真っ平御免」という気持ちが、時間と共に揺らいできました。結局、何が決定的な理由だったのかは思い出せませんが、私は松井証券を女婿として継ぐ人生を選びました。多分、考えるのが面倒臭くなったのだと思います。会社を継ぐ意志を告げると妻は安堵の表情を浮かべ、夫婦一緒に義父母に報告に行きました。義母は手放しの喜びようでしたが、岳父の反応はすぐには返ってきませんでした。

しばらく無言が続いた後、こう言ったのです。「おやんなさいよ でも つまんないよ」

第一章
美しい絵を描きたかっただけ
美しい絵を描きたかっただけ
第二章
郵船学校
郵船学校
第三章
おやんなさいよ でも つまんないよ
おやんなさいよ でも つまんないよ
第四章
天動説より地動説
天動説より地動説
最終章
人は人吾はわれ也
とにかくに
吾行く道を吾行なり
人は人吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾行なり